「信楽=タヌキ」の真相に迫る
日本六古窯の一つ「信楽」に行ってきました。
京都からローカル線を乗り継ぎ「貴生川」駅から1時間に1本の「信楽鉄道」に乗り換える。
鉄子か?と己を疑う程、この単線列車の到着が楽しみw
これが信楽鉄道。
観光客と通学の学生がメインの乗客で、信楽の人はほとんど乗らないらしい。
この電車に揺られる事20分程、終点の「信楽」で降りてみるとそこは。
たぬき、タヌキ、狸の強烈な歓迎を受ける。
こんな町、他にないかと思う。
信楽に到着するなりこれだけのタヌキに視線を投げつけられると、あまりにもシュール過ぎて、どうにか好みのタヌキを見つけて家に連れて帰りたくなってしまうのは私だけであろうか?
そして、これだけタヌキの需要があるって事にも驚きを隠せない。
しかし何故「信楽=タヌキ」なんだろう?
それは、そこはかとなく深い何か、信楽を語る上で「たぬき」無しでは到底語れない壮大な歴史やドラマがあるはずである。調べなきゃ。
「ボーっと生きてんじゃねーよ!!」って、チコちゃんに叱られる前に。
何でも研究熱心な私は早速調べた。
藤原銕造(1877~1966)という方が、京都から信楽に移り住み「狸」を焼いた事が発祥らしい。
え!?1877年といえば、The昭和じゃないですか。
そこはかとなく浅いヒストリー。
しかも、信楽でなく京都のお方というのも思いっきり想定外。なんてこったい信楽狸。
しかしながら、信楽たぬきが世に知らしめるべく、こんなエピソードを発見した。
1956(昭和31)年、昭和天皇(1901~1989)が信楽を訪れた際、多くの狸の置物に歓迎されたことに感銘を受け、「をさなどき あつめしからに なつかしも しがらきやきの たぬきをみれば」という和歌を詠み、それをマスコミが盛んに報道したことから、爆発的に知名度が広まっていった。 それを受けて、昭和30年前後から盛んに作られるようになったと。
皇族(しかも天皇)をも巻き込んで和歌まで詠んで賜るとは、信楽タヌキなかなかヤル。
やはり連れて帰れば良かったのか・・・・。
ちなみに、タヌキ=「他を抜く」という事で縁起物とされているらしいが。
他と張り合う気が到底ない私としては、微妙な気持ちである。
ところで、今回の信楽行きの目的は、1月に大阪(梅田)の某ホテルにて、信楽の作家さんと、思いっきり楽しいイベントを企画しているので、その打合せ件ご挨拶。
様々なご縁で、私ごときが願ってもない、本当に素敵な作家さん数名をお尋ねしました。
もう皆様、本当にROCKで素敵過ぎる!!!!
今回お会いした作家さん全員、弾丸器クレイジートーク炸裂で、私はもう幸せ過ぎてぶっ倒れそうでした。(よって、後半にお会いした作家さんとは、電池が切れて支離滅裂でしたね。。失礼しました・・・・多分)
企画・ディレクションを担当する私は、この方々の作品がさらに輝くよう全力で、使い手と繫ぐのみ。
恐らく、2019年1月20日(日)大阪(梅田)で開催予定です。
皆様お忙しい中、初対面にも関わらず歓迎頂き、どれだけ準備に時間がかかったであろう?信楽焼きで頂くLunchをご馳走になったりと、涙が出そうな程温かいおもてなしを頂いたお話など、次回以降綴って行きます。
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